イエズス会教育

イエズス会の設立

イエズス会は、スペイン北部バスク地方出身のイグナチオ・デ・ロヨラが、フランシスコ・ザビエルをはじめとするパリ大学での同志6人と共に創立したカトリック男子修道会で、1540年に時の教皇(法王)パウロ3世から正式に「イエズス会」として創設の認可を受けました。教皇の派遣により人々を助けるため、世界のいかなる土地へも無条件で出かけるという精神に促され、イエズス会員は南北アメリカ大陸、アフリカ、インドなどへと旅立ち、ザビエルはインドから日本、中国までその使命を果たしました。

イエズス会と教育事業

イエズス会は、創設の当初より学校教育を重要な使徒職とみなしてきました。聖イグナチオは、1548年に10名のイエズス会員をシチリアのメッシーナに派遣して以来、亡くなる1556年までの8年間に、ヨーロッパ主要都市に31もの学校・大学を設立し、その後も世界各地に教育機関を広げました。

イエズス会が学校教育に関わることになったのは、それが青少年の人間形成と社会向上に大いに貢献することができると認識していたからです。『会憲』の中でも「この会は、愛徳という動機から学院の経営を受け取り、その学院の中に一般にも開かれた学校を設立し、この会の会員ばかりでなく、特に外部の人びとの学識と生活の向上を図るのである」(『会憲440』)と書かれています。

イエズス会が運営する学校では、聖職者を養成することを第一の目的とするよりも、一般青少年の教育を目的としました。この観点から、学生は神学、哲学以外にも、音楽や演劇を含む多くの内容を学びました。

また、その教育方針の特徴の一つとして、聖イグナチオが自らの精神的体験をもとに著した『霊操』に基づく人格形成を挙げることができます。その中でも「マジス」、つまりより高度な、より深い人間性を自ら発見することにより、各々が成長することができるのです。このような教育方針に基づく学校は、2018年現在、世界67カ国に展開され、844の中等教育機関、186の大学を含む約2400の各種教育施設がネットワークで結ばれ、250万人以上の青少年が学んでいます。

イグナチオ的教授法(Ignatian Pedagogy)

イエズス会の教育方法の源は、1599年に作成された「学事規程(Ratio Studiorum)」にあります。これは、全世界のイエズス会学校に適用されるべき、勉学に関する規定集です。20世紀前半まで、この規程に基づきイエズス会の学校は運営されてきましたが、時代の変化とともにそれが困難になり、新たな時代に見合うイエズス会教育の特徴が模索されました。

その時に注目されたのが、イグナチオ自身が経験し、祈りによって深められた「霊操」です。「霊操」は、自分自身を知り、神を深く知るための方法を具体的に記した手引書です。

そしてこれに基づいて、教育現場に適用できる手法として考案されたのが、「イグナチオ的教授法(Ignatian Pedagogy)」です。

「イグナチオ的教授法」において、教師は生徒が学習できる状況を設定し、基礎的なことだけを教え、学習者自身が「体験」⇒「内省」⇒「実践」⇒「評価」というプロセスを通して、自ら学んでいけるように側面からサポートします。

●体験:
学習者は、学習の場で自ら新たな経験をしたり、すでに経験したことを思い起こしたりします。つまり、自身の経験を教材にし、それらに対する自分の心の動きに気づくのです。
●内省:
学習者は、体験することによって自ら "問い" を生み出します。それに対する答えを見出すために深く考え、教師の適切なアドバイスにより学び方を学びます。そして、自分の記憶力、理解力、想像力、感覚の働きなどを活かし、学習していることの意味や価値を探ります。
●実践:
内省により、学習者の意識、態度、価値観が形成されると、単なる知識の習得にとどまらず、行動に移そうという意欲を感じるようになり、その時のベストな選択肢を実践します。
●評価:
その実践が正しかったのかを判断し、次の成長へとつなげるために「評価」が必要です。それにより、教師自身も改善点を見出すことができるのです。

このように、「体験」⇒「内省」⇒「実践」⇒「評価」というサイクルを繰り返しながら、真の意味で「知る」というプロセスを歩むことが、「イグナチオ的教授法(Ignatian Pedagogy)」と言われるもので、このプロセスは誰にでも、いつの時代にも、生涯学習にも適用されるものなのです。

ペドロ・アルペ神父と "Men for Others"

イグナチオ的リーダーシップを語る上で、触れないわけにはいかない人物として、第28代イエズス会総長、ペドロ・アルペ神父を挙げたいと思います。

アルペ神父は聖イグナチオと同じバスク地方の出身で、イエズス会入会後、1940年にフランシスコ・ザビエルに憧れ宣教活動をするため来日しました。山口・広島で宣教活動に従事し、終戦の年に原爆が投下されたとき、広島の長束にいて自ら被爆しながらも、医学の知識があったため、治療活動を行いました。戦後は全世界を駆け回り、日本への宣教の必要性を説きました。

今日私たちは、"Men for Others" をイエズス会学校のモットーとしていますが、この言葉はアルペ神父が最初に用いたものです。

1973年、スペインのバレンシアで開かれた、ヨーロッパ・イエズス会学校卒業生大会で、アルペ神父は「正義のための再教育」と「教会が求める人間像」について講演しました。第一部の冒頭でアルペ神父の「私たちイエズス会員は正義のために教育をしたでしょうか」という厳しい問いかけに対し、憤慨して席を立つ人たちもいたといいます。

第二部では、「今日の教会あるいは世界には、どのような人間が必要とされ求められているか」というテーマについて、アルペ神父は「一言で言えば、それは、"他者のために生きる人間 (Men for Others)" です」と述べました。

「人間は、良心や知識、力を神から与えられているので、一種の中心ではありますが、それは自分から外へ、まわりの他のものへ向かっていくという中心なのです」「自分の利益のためにのみ生きる人は、他者の役に立てないだけでなく、もっと悪い結果を生んでしまいます」「もし、人類への奉仕というものが考えられないならば、どのようにしてこの世の中を、真に人間的なものとすることが出来るでしょうか」ということを、アルペ神父は話しました。

アルペ神父が示した "Ignatian Leadership" とは、上に立ち命令を下すというものではなく、他者に仕え、他者とともに歩むことができるリーダーの姿なのです。

イグナチオ的リーダーシップ(Ignatian Leadership)

イエズス会教育の中でいう「リーダー」とは、「仕えるリーダー」のことです。教育の目標は、社会的・経済的エリートを育てることではなく、社会に仕えるための指導者を育てることなのです。

「イグナチオ的リーダーシップ(Ignatian Leadership)」とは、「仕えるリーダー」の姿が具体的にどのようなもので、どのように養成するのかを伝えるもので、聖イグナチオが体験して学んだこと、それに基づく霊性、それらから学ぶリーダーシップを表わすものです。

Ignatian Leadership を特徴づける言葉は以下の7つに集約されます。

識別 "discernment"

「識別」は霊操体験の中で最も大切にされていることです。祈りという行為を通し、霊操者の心の中の様々な動きが、神に由来するものなのか、それとも神に反するものに由来するものなのかを「識別する」ということです。日常生活においても、「元気が出てきた」「新たな希望に燃えてきた」「感動して涙が流れた」といったポジティブな心の動きがある一方、逆に「元気がなくなった」「不安に駆られてどうしようもない」「すべてがむなしい」というネガティブな状態も経験します。このような心の状態にあるとき、なぜなのか、どうしてこうなったかを知ることが「識別する」ということなのです。

この考え方を基礎にして、一人一人の人間だけでなく、社会で生じる様々な出来事をも識別することが、リーダーにとって重要なことになります。

分別ある愛 "discreta caritas"

「識別」とも関連し、聖イグナチオが『会憲』の中でよく使った言葉とされています。「愛」ということがとても大切であるがゆえに、何でも無条件にその「愛に動かされて」事をなすことを戒める言葉です。例えば、一方的に人のためによかれと思って行ったことが、「おせっかい」でしかなかったということはよくあることです。微妙な状況の中で、リーダーが言うべきこと、取るべきふるまいを表わす言葉です。

不偏心 "indifferentia"

英語でいう「無関心」という意味ではなく、「偏らない心」と理解されています。 人間の造られた目的は何かを明確に定め、人間を取り巻くすべてのものは、その目的を達成するために使われるべきで、それらそのものを目的とすべきではないとしています。例えば、健康、富、長寿といった誰もが望むようなものでも、それ自体を目的として心が偏ってはならないのです。

反対のことをする "agree contra"

この言葉は「自分がしたいと思うことの反対をせよ」、あるいは「克己の精神を培う」という意味で理解されがちですが、どちらも違います。

本来の意味は、聖イグナチオが『霊操』の中で指摘しているように、心が荒んだり、何も感じなくなり、祈りに気持ちが向かわず、苦行や節制をしたくなくなったとき、「反対のことを、あえてする」という意味です。したくないと思うことをあえて実行するというのは、リーダーとしての大事な資質です。

より大きな望みを引き出す "eliciting the great desire"

聖イグナチオの霊性の特徴の一つとして「望みを引き出す」ということが挙げられます。『霊操』においてイグナチオは常に、霊操者の心に「こうしたい」という望みがわいてくるよう指導しました。イエスをもっと深く知りたい、神の愛にもっと触れたい、自分自身そして世界のことをもっと知りたい、というようなことです。霊操者が本当に望むことを導き出すことが、霊操指導の大切なポイントです。

リーダーとして、ともに働くものからそのような望みを引き出すことも、大切な資質です。

一人一人への配慮 "cura personalis"

目の前の「この人」に対し、今何が必要で重要なのかを配慮し心を砕くことは、とても大切なことです。それは一般論でいうのではなく、一人一人親身になってお世話をすることです。

リーダーは組織全体の利益を考える立場にありますが、「あなたが大切です」という視点を失ってはいけません。cura personalis は、イエズス会教育の第一に挙げられる言葉であり、リーダーの資質としても第一に来るものといえるでしょう。

使徒職に対する世話・配慮 "cura apostolica"

一人一人を大切にすると同時に、リーダーは使徒職のこと、そして使徒職の母体となっている組織のことを考える必要があります。今後も引き続きこの教育事業を行えるのか、新しい時代にどう対応していくのかを考えることも“cura apostolica” なのです。